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電子基準点で天気を予測する「GPS気象学」の可能性

2018年05月17日

電子基準点の観測データの用途は、地図や測量にとどまりません。その一つが天気予報での活用です。そして一見無関係に思える衛星測位と天気予報を結びつけるのが「GPS気象学」と呼ばれる学問分野です。今回は、茨城県つくば市にある気象庁気象研究所を訪ね、小司(しょうじ)禎教氏(気象衛星・観測システム研究部第二研究室室長)に話を伺いました。

気象研究所の小司氏

気象研究所の小司氏

1)降雨のメカニズム

そもそも降雨とは、大気中の水蒸気が凝結して地上に落ちてくる現象です。それが突発的だったり、一定のエリアに集中すると、大きな被害を招くことがあります。天気予報は近年、精度が大きく向上しましたが、いつどこで起こるか分からないゲリラ豪雨などの事象を予測するのはいまだに難しく、研究開発の上で課題となっています。

夏場の集中豪雨は、あたたかく湿った地上付近の空気と、上空の冷たい空気が出会うことで、それらが上下移動しつつ混ざり合い、凝結した水蒸気が継続的に落下することで発生します。凝結で発生する潜熱により、空気はさらに温められて混合が促進され、積乱雲が成長します。場合によっては、雨だけでなく落雷や雹(ひょう)なども伴う場合があります。

単体の積乱雲には一定の寿命がありますが、その場所に雨の原料となる「あたたかく湿った空気」が供給され続けることで、線状の降水帯が発生し、集中豪雨となります。被害を少しでも減らすには、積乱雲が発生する以前にその兆候を見つけ、いち早く注意喚起を行う必要があります。

2)衛星測位のメカニズム

雨をもたらす大気中の水蒸気は、衛星測位にとっては測位精度を乱すノイズの原因となります。そもそも衛星測位は、測位衛星が発する電波が受信機に到達するまでの時間を正確に求めることで成立しています。到達時間に電波の速度を掛け算して、両者の間の距離を割り出すことで位置を求めているからです。

衛星と受信機の間にさえぎるものがなければ、電波は定義どおり光速(真空中で秒速29万9792.458km)で伝わります。しかし現実には、大気の分子やイオンが存在し、電波の速度を遅らせます。水蒸気もノイズ源の一つです。他にも衛星そのものの軌道や時計の誤差など誤差要因はさまざまあります。それらをすべて洗い出して補正し、衛星との距離を正確に見積もることが、測位精度を向上させる大きなカギとなっています。

「大気中の水蒸気は、気象予報の側から見ると、とても有益な情報となります。水蒸気の観測には、ラジオゾンデ(気球)やマイクロ波放射計などが使われますが、天候に左右されず高頻度の観測を行う手段はありませんでした。GNSS技術の向上で、固定点である電子基準点のデータを解析すれば、地上付近での大気中の水蒸気量を、ほぼリアルタイムで見積もることができるようになったのです」(小司氏)

気象庁気象研究所

気象庁気象研究所(茨城県つくば市)

3)高精度化へのチャレンジ

その場所の上空にある大気中の水蒸気を降水量に換算した場合、どの程度の高さになるかを示す数値のことを「可降水量」(単位はmm)といいます。上空の水蒸気がすべて雨となった場合の降水量を意味しており、GNSS観測データを解析して求めます。

GPS気象学の研究が始まった1990年代には、天気予報に必要な精度で可降水量を求めるのに、数週間の時間がかかっていました。そもそも測位精度を乱すノイズの値を知るには、それ以外の数値すべてを高い精度で求めなければなりません。ノイズ源となる要素(電離層、大気、潮汐による地殻の上下運動、地球の自転速度のゆらぎなど)を洗い出し、それらすべてに値を割り振っていく必要があります。

その際に重要となるのは、衛星のある瞬間における位置の情報です。宇宙空間を軌道運動する衛星にとって、この情報は「軌道」と「時計の精度」に置き換えることができます。世界各国の衛星測位に関わる機関が協力して運営しているIGS(International GNSS Service=国際GNSS事業)という団体があります。

IGSは、各機関の協力で集められた観測データをもとに、衛星それぞれの軌道や原子時計のゆらぎの情報を推定し、それらを精密暦として公表しています。この精密暦には、すぐに公表される精度の粗いものから、遅れて公表される高精度のものまで何種類かが存在します。研究を始めた当初は、約2週間後に公開される「最終暦」を使って可能な限り精度の高い解析を行い、予測への効果を確認する、というテーマに取り組んでいました。

「しかし2週間後では『予報』に使えません。天気予報に間に合うよう、たとえば30分の遅れ程度でより正確な暦を得るために、水素メーザー原子時計を用意したり、JAXAの深宇宙局(臼田宇宙空間観測所)にある水素メーザー原子時計に同期したGPS受信機の時計情報を利用するなどして、衛星の軌道予測の精度を高める取り組みも行ってきました」(小司氏)

小司氏(気象研究所にて)

小司氏(気象研究所にて)

4)数値天気予報のメカニズム

現在の天気予報は、スーパーコンピュータで行われています。これを「数値天気予報」といいます。予報プログラムを走らせるには、地球大気を覆うすべての格子点(メッシュ)の気温、気圧、風向・風速などのデータが必要となります。計算を行う初期値が必要なのですが、観測点は有限であるため、観測データはすべての格子を網羅しておらず、実測データでこのメッシュのすべてを埋めることはできません。

そこで、いわばすき間だらけのクロスワードパズルを埋めるように、実測データからより確からしい初期値を推定する、データ同化と呼ばれる作業が必要となります。その際に、実測データはマス目を埋める「ヒント」として用いられます。ヒントは種類も量も多いほど望ましく、さらにこれまで使われていなかったヒントが使えるようになれば、数値天気予報にとって大きな貢献となります。

可降水量もそのようなヒントの一つでした。ヒントを用いた場合の効果は、数値予報と現実の天気とを比較すれば、容易に評価できます。その効果が認められ、GEONETの観測データを解析して得られた可降水量は、2009年から数値気象予報のシステムに組み入れられました。小司氏自身、この業績により気象庁長官表彰を受けるなど、プロの間では高く評価されています。

「これは、GNSS技術の進歩に対する評価だと思っています。衛星測地学の進歩、観測データを世界規模で収集するグローバルな高速通信網の整備で可能となった、高精度でリアルタイムの暦があって初めて、可降水量の数値天気予報への導入が実現したのですから」(小司氏)

講演中の小司氏

講演中の小司氏

5)GPS気象学のさらなる展開

天気を予報する側の立場では、これまでヒントの少なかった場所で得られたヒントほど貴重です。洋上など、観測船を出した時しか得られなかった場所で取得できたデータは、たいへん貴重なヒントとなります。
島国である日本に降る雨は、海から供給される水蒸気が大きく影響します。海からの水蒸気を、洋上のブイや船舶などで観測できれば、さらに緻密で正確な降雨予測が期待できます。

そうした観点から気象研究所は、今年3月に退官した東京大学地震研究所の加藤照之教授を研究代表者とする「海洋GNSSブイを用いた津波観測の高機能化と海底地殻変動連続観測への挑戦」に参加し、洋上での可降水量の連続観測に関する研究開発を進めています。
また、気象庁の観測船だけでなく、定期航路の貨物船にGNSS受信機とデータロガーを設置し、洋上を航行しながら可降水量の計測を行う研究開発も行っています。

衛星測位にとってノイズ成分である可降水量を決定するということは、揺動する船上でその瞬間ごとの位置を正確に求めるのと同じで、技術的に非常に高いハードルを乗り越えなければなりません。しかし小司氏は、「グローバルに利用できるMADOCA暦がみちびきから配信され、洋上で利用できることが、実現に向けて大きなアドバンテージとなった」と手応えを語っています。

小司氏

小司氏

GPS気象学で得られた知見はさらに、測位衛星の仰角・方位角を加味した解析により、面的な可降水量の濃淡を可視化する手法や、東京スカイツリーから発信される地上デジタル放送の電波と反射波を用いて、都市部における地表面付近の水蒸気分布を可視化する手法などに応用が広がりました。
もとは測量や地図づくり、地殻変動の観測のために整備された電子基準点ネットワークが、天気予報という異分野へ応用され、成果を上げつつあるわけです。

(取材/文:喜多充成・科学技術ライター)

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