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海上保安庁、バーチャルAISで「推薦航路」を設定する世界初の取り組み

2019年01月21日

海上保安庁は2018年1月から、通航量の多い伊豆大島西岸沖に「推薦航路」を設定しました。その設定に当たり「バーチャルAIS航路標識」と呼ばれる仕組みが世界で初めて使われ、国際的な注目を集めています。今回は、これに関わった海上保安庁と、海上交通のシミュレーションに関わった海上技術安全研究所(国立研究開発法人海上・港湾・航空技術研究所の1組織)に取材しました。

[1] GPSを基盤にした海の安全を守る「AIS」

── 海上保安庁 交通部 航行安全課

海上保安庁

まずは海上保安庁交通部航行安全課を訪ねて、航行指導室の安達裕司・課長補佐と安藤洋・海務第一係長のお二人に話を伺いました。

AIS(Automatic Identification System=船舶自動識別装置)とは、呼出符号、船名、位置、針路、速力、目的地などの船舶情報をVHF(超短波)帯電波で自動的に送受信し、船舶局相互間、船舶局と陸上局間で情報の交換を行うシステムのこと。2002年に発効したSOLAS条約(海上における人命の安全のための国際条約)により、一定の基準を満たす船舶に対して搭載が義務化されました。位置座標の取得にはGPSが使われ、さらにGPSで取得された高精度の時刻情報が、データの衝突を避けるための自律的な通信制御に使われる、測位も通信もGPSを前提として成り立つシステムです。

AISを活用した航行支援システム(図版提供:海上保安庁)

船舶同士が位置や速度を知らせ合う仕組み

海上保安庁の安達氏

海上保安庁の安達氏

── AISは「船舶同士がお互いの位置や速度を知らせ合う仕組み」と理解しています。

安達 はい、船舶固有の識別符号や位置、速度、目的地などの情報をVHF帯で自動送受信するシステムです。2002年より、国際航海に従事する300総トン以上のすべての船舶、国際航海に従事する旅客船、並びに国際航海に従事しない500総トン以上のすべての船舶、に搭載が義務付けられています。

── 漁船などの小さな船の場合は?

安達 装備すれば周囲の船舶の位置や速度の情報が分かり、確実に安全性は高まります。安価な装置もあり、より多くの船に装備してほしいと思っています。

1日400隻が行き交う、混雑した海域

── 今回の推薦航路、検討を始めたきっかけを教えてください。

安達 海上保安庁では、東京湾、伊勢湾及び瀬戸内海を結ぶ太平洋沿岸海域(準ふくそう海域)は、船舶交通量が多く複雑な針路交差部が生じるため、重大海難が発生する蓋然性が高いことから、船舶交通の安全性を向上させる取り組みの検討を行い、2008年から基礎調査を始めていました。
2013年には伊豆大島西岸沖で6名の死者を出す貨物船同士の衝突事故が起こりました。この海域は東京湾に出入りする船舶など1日400隻以上が利用する主要な通航路です。この事故を踏まえ、船舶交通の整流化による安全対策を検討し、併せてバーチャルAIS航路標識の利活用についても検討を行いました。
2014年からは危険度の可視化や効果を推定するシミュレーションが加わったことで検討が進み、さまざまな関係者間の調整が進展し、それを踏まえてとりまとめた推薦航路が2017年3月の国際海事機関(IMO=International Maritime Organization)の航行安全・無線通信・捜索救助小委員会で合意され、6月のIMO海上安全委員会で採択されました。

── ここを通航する世界中の船舶に知らされることになったと。

海上保安庁の安藤氏

海上保安庁の安藤氏

安藤 そうです。6カ月の周知期間を経て2018年1月1日のUTC(国際標準時)0時となる日本時間の午前9時、伊豆大島西岸沖に推薦航路を設定しました。これに合わせて横浜にある東京マーチス(東京湾海上交通センター)の端末から「バーチャルAIS航路標識」を設定し、船舶のレーダーや電子海図上に表示させるコマンドを送りました。

── バーチャルAIS航路標識は、AISの仕組みを利用した仮想的な標識のことですよね。

安達 水深が深くてブイなどを設置できない場所にも、レーダーや電子海図に標識を表示させることができます。海上保安庁では2015年11月から明石海峡と友ヶ島水道(淡路島~和歌山)で運用を始めています。

── 今回の推薦航路は、どんな点が世界初なのですか?

安藤 2つのバーチャルAIS航路標識を使って推薦航路の位置を明示することで、海上交通の整流化を行う点です。バーチャルAIS航路標識による標識は北端と南端の2カ所で、推薦航路はこれらを結ぶ長さ約15kmの中心線の「右側」の通航を推奨するものです。

伊豆大島西岸沖に設定された「推薦航路」

伊豆大島西岸沖に設定された推薦航路。北端と南端にはバーチャルAISによるシンボルマークが表示される(北端:北緯34度48分00秒/東経139度17分00秒、南端:北緯34度42分12秒/東経139度10分00秒)

── 国際条約による航路の中で、今回の推薦航路は、多少意味合いが違うものなのですね。

安藤 国際条約による航路の中には、強制力のある航路があり、船舶はルールに従って航行しなければなりません。陸上の道路に例えると、航路は中央分離帯のある専用道のようなもので、逆走したり横切ったりは許されません。
一方、推薦航路は、中心線が示されるのみで、航路ほど厳密なものではありません。ですがいずれも海図に示され、世界中の船舶に周知されます。国際条約により強制力のある航路は世界で約160件、推薦航路は今回が世界でまだ7件目です。IMOの小委員会でも多くの国がこの取り組みに関心を示したため、今後、運用情報を報告することにしています。

── 設定に際してどのような検討が行われたのでしょうか?

安達 たいへん力になったのが、海上技術安全研究所との共同研究の枠組みで行った、海上交通のシミュレーションです。推薦航路による効果はどれほどか、どのように中心線を設定するのが望ましいかなど、いくつか案を設けて検討することができ、船舶運航者や漁業者など多くの関係者の合意形成もスムーズに進みました。海上技術安全研究所の方にも、ぜひ話を聞いてみてください。

[2] 通航状況を把握し、シミュレーションから効果を推定

── 海上技術安全研究所 海洋リスク評価系 リスク解析研究グループ

海上技術安全研究所

東京・三鷹市に本拠を置く海上技術安全研究所は、国立研究開発法人海上・港湾・航空技術研究所の1組織として、海上交通の安全や効率向上、資源・海洋空間の有効利用、環境保全などの研究を行っています。同研究所を訪ね、海洋リスク評価系 リスク解析研究グループの伊藤博子グループ長に話を伺いました。

私たちが行うリスク解析研究に、まさに重なるテーマ

海上技術安全研究所の伊藤氏

海上技術安全研究所の伊藤氏

── 推薦航路の設定において、大きな鍵となる仕事をされたと伺いました。

伊藤 海上保安庁さんとの共同研究として、当該海域の通航状況の把握や、効果推定のためのシミュレーションなどを行いました。近年はAISが定着したことで、沿岸の局で受信されたAIS航跡データが蓄積されていますので。

── いわば「海上交通ビッグデータ」ですね。

伊藤 そうです。そうしたデータを使うことで、海域の状況を詳細に把握し、より確度の高いシミュレーションを行うことができます。私たちの研究部門は、海上におけるリスクをターゲットに、「特定海域を航行する船舶の行動」や「通航の集中箇所や危険な遭遇の発生しやすい箇所の特徴」、あるいは「施設新設が周辺交通に及ぼす影響」などについて解析や評価を行ってきました。バーチャルAISで設定された推薦航路の影響や効果の予測は、リスク解析研究という、まさに私たちの仕事と重なるテーマでした。

── どこから手をつけたのでしょうか?

伊藤 まずはデータ活用による現状の理解です。起こった事故の記録はもちろん分析しますが、それ以外にも回避行動がとられて起こらなかった事故もあるはずです。しかしすべてが把握されている訳ではありません。そこで実際のAIS航跡データをもとに「事故には至らなかったが、その危険はあった」という事象を洗い出しました。

操船困難度という概念を、数値で示す

── 起こらなかった事象を、どう表現するのでしょうか?

伊藤 海の世界では「操船困難度」という概念があり、それを数値で示す手法も複数存在します。今回試みたのはOZT(航行妨害ゾーン)という指標です。
仮に他船が一定の速力と針路を保っているとして、自船の進み方や両船の大きさを考慮すれば、両船が衝突、もしくは極めて接近すると予想される場所が分かります。これがOZT地点です。次に自船の前方に、自船が到達する可能性のある領域として、扇形の領域を想定することができ、その大きさや形は位置・速力・針路から決まってきます。
この扇形の領域内にOZT地点が存在すれば、何らかの回避行動が必要になるため「操船を困難にしている」ということになります。混雑した海域では、自船の扇形内に複数の他船が同時にOZTを発生させる場合もあり得ます。これをその海域での操船困難度の尺度とする訳です。

── 正面衝突や側面の衝突だけでなく、追突のようなケースも拾える訳ですか?

伊藤 そうです。また、さらにもう1つ「反航船の遭遇頻度」という指標も使ってみました。ある小さな領域の中に船が入る事象を確率で表現し、そのうち向かい合って航行する船(反航船)が同時に入る事象が発生する回数を算出するものです。中心線を設定した場合、その整流効果を測ることができる指標です。

── 実際の通航データをもとにしているので説得力がありますね。

伊藤 得られた結果を地図上に展開することで、ビジュアルに危険状況の把握ができます。また異なる2つの尺度で行ったので、説得力も増したのではないかと思います。

伊藤氏と、解析に関わった三宅里奈氏(リスク解析研究グループ)

伊藤氏(左)と解析に関わった三宅里奈氏(リスク解析研究グループ、右)

データを見せることで合意形成がスムーズに

── 検討には多くの関係者が関わったと聞いています。

伊藤 貨物船の運航者、旅客船の運航者、漁業者、外国船舶の関係者、関係官庁などが関わっています。現状理解を経て、「東西交通を分離する、中心線を用いた推薦航路の構築が望ましい」という方針が見えてきました。そして設定に当たっては、「効果があり、多くの船舶が従いやすい、位置・方向・長さはどのようなものであるか」という検討テーマが浮かび上がってきました。

── いくつかのケースを想定し、通航シミュレーションを行った?

伊藤 3つの案を設定して交通流シミュレーションを行い、「危険な遭遇を減らす」「燃料消費量を大きく増やさない」「端点座標はキリの良い数字」「主要漁場の回避」などの条件設定のもと、シミュレーション結果を比較しました。

── あくまで実データをもとに?

伊藤 そうです。まず、まだルールのない状態での通航位置の分布を用いて、遭遇頻度を図にすると、ある形状が浮かび上がりました。

推薦航路を定義する「基線」位置の設計

推薦航路を定義する「基線」位置の設計(「第16回海上技術安全研究所研究発表会」資料より)

── 何を意味する図になるのですか?

伊藤 「推薦航路」による新ルールは中心線のみを示す緩やかな整流化ルールなので、船舶ごとにきっちり守る船からそれほどでもない船まで、ある分布を持つことになります。

── 実データから描かれた「遵守度分布曲線」のようなもの?

伊藤 とも言えますね。そしてその分布の形状は、新ルールの設定後も同じであろうという想定で、シミュレーションを行いました。今回の海上保安庁さんとの共同研究では、単にこの場所に航路を設定するだけでなく、他海域でも推薦航路を設定するための仕組みづくり、つまり「交通ルール立案の有効な手法の構築」というテーマもありました。実データを踏まえてビジュアルに現状を提示し、確度の高いシミュレーションで複数案を比較検討するというやり方は、とても有効だったと思います。

日本航海学会は、今回の推薦航路指定に関わった海上保安庁、海洋技術安全研究所、日本海難防止協会の3者に航海功績賞を授与し表彰した。右端が伊藤氏

── GPSを基盤にした海上交通ビッグデータとも言うべきAIS航跡データが存在し、それを徹底的に活用することで、道筋が見えてきた訳ですね。では今後、洋上でのみちびきの利用で、どのようなメリットが考えられるでしょうか?

伊藤 海上交通の分野でGPSによる測位はなくてはならないインフラですが、さらに今後は自動運航船が大きなテーマになってきます。こうした船舶では、確実で正確な測位は今以上に重要となるはずです。たとえば他船の動きをより正確に把握し予測するためには、速度だけでなく「速度の変化率」を使う必要が出てくると考えており、そこが精度の高い位置情報が求められるポイントではないかと個人的には感じています。また、接岸などデリケートな操船も無人で行うとすれば、必然的にセンチメータ級の精度が必要になってきます。今すぐに海でみちびきが役立つかは分かりませんが、将来的には重要性が高まってくるのではないでしょうか。

(取材・文/喜多充成・科学技術ライター)

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※ヘッダの画像は、イメージです。本文図版提供:海上保安庁/海上技術安全研究所