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みちびき初号機の開発から運用終了までを関係者に聞く(後編)

2024年03月11日

2023年9月に活動を終えたみちびき初号機の足跡を紹介する企画の後半は、前編に引き続き初号機プロジェクト発足時からJAXAで開発に携わった明神絵里花氏(JAXA第一宇宙技術部門 高精度測位システムプロジェクトチーム ファンクションマネージャ)と岸本統久企画官(JAXAで開発・運用を担当し、現在は内閣府宇宙開発戦略推進事務局 準天頂衛星システム戦略室に在籍)、そして初号機打ち上げ後にみちびき利活用推進に取り組んだNECソリューションイノベータ株式会社の神藤英俊・主席プロフェッショナルの3人へのインタビュー取材を掲載します。後編では、2010年のJAXA種子島宇宙センターでの打ち上げからその後の運用を話してもらいました。
また、JAXAや内閣府と共にみちびき初号機の開発・運用を担当した曽我広志氏(日本電気株式会社 準天頂衛星システム・プロジェクトディレクター=当時)、岡本丈史氏(三菱電機株式会社 鎌倉製作所 宇宙システム部 準天頂衛星プロジェクト部長=当時)、そして開発時にJAXAでプロジェクトマネージャを務めた寺田弘慈氏(現JAXA理事)の三氏にも寄稿をいただき、当時の模様を振り返ります。

初号機の打ち上げ

みちびき初号機の打ち上げ(2010年9月11日 種子島宇宙センター、画像提供:JAXA)

── みちびき初号機を打ち上げた時、どこにいましたか?
明神:私は種子島の射場にいましたが、衛星の最後のセットアップが終わった後はそれほどやることはありませんでした。残念ながら、射場に居ながら打ち上げの瞬間を直接は見られなかったのですが、インターネット中継で見ながら「上手く打ち上がったな」と思って安心しました。

岸本企画官

内閣府の岸本企画官

岸本:私はSC(Satellite control Conductor:衛星管制指揮者)を務めたのですが、実はみちびき初号機の打ち上げ時は大変なことがいろいろと起きました。打ち上げ時には衛星の太陽電池パドルは折り畳まれた状態でフェアリングに格納されていますが、軌道に上がったらまず電力確保のためにパドルを展開しなくてはなりません。この時は展開自体は成功しましたが、展開時の衝撃で地上と通信を行う衛星機器の中に存在したと思われるコンタミネーション(汚染物質)が影響してしまったようで、送信電力が約100分の1に落ちてしまいました。さらにそこから太陽電池パドルを太陽の方向へ向かうように回しましたが、パドルの片方は電力が発生しましたが、もう片方には発生しませんでした。どうやらパドルの片方は正常な方向を向き、もう片方は逆方向を向いてしまったのです。幸い容量に余裕のあるバッテリーを積んでいたので、逆向きになっているパドルを180度回転し直して電力を確保できました。

── 予期していなかったさまざまなトラブルが起こったのですね。
岸本:人工衛星の打ち上げ前には通常2回リハーサルを行い、1回目はタイムラインも含めてある程度上手く行ったという想定で行いますが、2回目はあえて意地悪な訓練を行って、いろいろ不具合が起きることを模擬したリハーサルをします。でも、実際の打ち上げ時には模擬訓練の不具合ケースをすべて超えるような事態になって、先ほど話した以外にも細々とした問題を次々に解決しなければならず、結局、夜8時過ぎの打ち上げから翌朝9時くらいまでずっと悪戦苦闘していました。私にとってはいちばん長い一日で今でも忘れられません。

明神氏

JAXAの明神ファンクションマネージャ

── 衛星が運用に入ってからはどんな感じでしたか?
明神:打ち上げの翌年(2011年)3月に東日本大震災が起こりました。宇宙にいる衛星は大丈夫でしたが、運用していた筑波宇宙センターは停電のため計算機が止まり、しばらくの間、運用室でテレメトリを見たりコマンドを打つことができなくなりました。幸いすぐに復旧して、運用室も被害はそれほどでなく、運用が止まったのはほんの少しの間だけでした。

岸本:みちびきはアラートフラグを解除した信号配信を2011年6月から開始したので、震災発生時はまだサービスを提供していませんでした。これがサービスイン後だったら、もしかしたらサービスが止まっていたかもしれないと考えると、(複数の管制局を異なる場所に持つ)サイトダイバーシティの大事さを思い知りました。測位信号は1時間に1回、最新の軌道と時刻の情報をリフレッシュして送信しており、アップリンクが途絶えると信号内のエフェメリスが有効でなくなります。東日本大震災時の経験を踏まえて、みちびきの2号機以降はアップリングの中断に強くなるように複数世代の軌道情報を格納できるようにして、半日くらい切れても大丈夫なようにしました。

岸本企画官

── そのほかに初号機の開発から何か学んだことはありますか?
明神:熱設計については、実際に打ち上がった後に太陽光に当たる機器の温度上昇が予想より悪くなってしまったので、初号機の開発時に得た熱制御のノウハウを活かして、2~4号機では放熱板の素材を変えて太陽光の吸収率が悪くならないように改善しました。

岸本:技術的な部分でもさまざまなノウハウを得ましたが、「しっかり試験して作ったシステムは裏切らない」ということを学びました。数多くの厳しい衛星試験を乗り越えて作っており、「絶対におかしいところはない、何とかなる」という思いがあります。「人事を尽くして天命を待つ」と言いますが、しっかりやればシステムは応えてくれると強く感じました。

── 初号機のプロジェクトはいつまで続きましたか?
岸本:打ち上げ翌年の2011年7月末に解散しました。初期チェックアウトが2010年12月で、その頃から他のプロジェクトのために人が抜けて、最終的にプロジェクトマネージャとミッションマネージャ、明神さんと私の4人になりました。2011年6月にL1C/AとL2C、7月にL1CとL5の4つの信号送信を開始して、それを節目に解散しました。明神さんと私はそのまま初号機の運用と実証のフェーズに入りました。

明神:開発プロジェクトは打ち上げ後に一段落すると運用や実証の部署に引き継がれますが、その部署はみちびきだけでなく他の衛星も担当しています。岸本さんと私はそこに入ってみちびきの運用を担当しました。その後は内閣府でみちびきの4機体制が計画されたので、2~4号機の開発の技術監理業務を行いました。

明神氏

── 初号機の運用開始後、2011年にみちびき4機体制が閣議決定されましたが。
明神:初号機運用が始まった当初は、まだ先がどうなるか決まっていませんでした。準天頂衛星は1日に約8時間しか日本上空に来ないので少なくとも3機が必要でしたが、それが4機体制になると決まり、初号機の成功が4機体制へとつながりました。

岸本:ちょうどその頃、米国のガーミンがみちびきに対応したGPS受信機を発売して、それを購入しました。JAXAが開発した衛星の電波を市販の受信機で受けるのは、実用サービスに近づいているということであり、ありがたいことでした。その直後に4機体制での構築開始が決まり、本当に嬉しかったです。

── 続いてみちびき利活用の推進について伺います。いつ頃から始まったのですか?
神藤:当方は2013年度からみちびきの利活用に携わりました。最初はみちびきに対応した安価な受信機もなく、どこから手を付けたら良いのか分かりませんでした。とりあえずGPSを使ってビジネスや研究を行っている人たちに話を聞きましたが、「みちびきって何?」と言われるばかりでほとんど知られていない状況でした。個別に企業訪問しても埒(らち)が明かず、内閣府の利活用担当者からのアドバイスで農業、土木、測量、鉄道、LBS(Location-Based Service:位置情報サービス)など分野ごとにチームを編成して、それぞれ座長を決めて協調領域として利活用を検討する場を作りました。最初に行った実証は、横浜市での災危通報(災害・危機管理通報サービス)を模した内容でした。災害時にみちびきから災危通報のメッセージを受け取ったと想定して、避難場所まで移動する仮想的な訓練でした。その後は農業分野で北海道大学の野口伸教授に協力いただき、トラクターの高精度測位の実証実験なども行いました。

神藤氏

NECソリューションイノベータの神藤主席プロフェッショナル

── 初号機を活用した実証実験で印象に残っているものを教えてください。
神藤:2015年3月に箱根で観光をテーマにした実証実験を行いました。一般の方を多数募集して行ったこともあり、前日の夜は眠れませんでした。当時のSLAS(サブメータ級測位補強サービス)はL1-SAIF信号による配信を想定していて、テスト用の受信機「QZ1」を使いましたが、実際に高精度測位を行えるかどうかはやってみなければ分からず、上手くいかずにユーザーが「使えない」という印象を持つのは困ると思い緊張しました。この日の箱根は雪が降っていましたが、実験が無事に上手くいってとても安心しました。

箱根での実証実験

箱根で行われた実証実験。端末をバスと停留所に設置して位置を可視化した(左)、バスに乗車しスマホ画面を説明する神藤首席プロフェッショナル(右)

── みちびきの高精度測位はいつからご存知でしたか?
神藤:みちびき利活用の前にやっていた仕事で、刑務所の受刑者が一時的に外へ出て作業を行う際の逃走防止システムにGPSを活用していました。そのシステムは境界線から一定距離を離れたらアラートを出す設定でしたが、GPSの誤差などで正確に距離を割り出せず、とても苦労しました。みちびきの高精度測位を使えば基準を満たして正確に距離を測れたので、早く実用化してほしいと願ったのが最初です。

── みちびきの普及前から高精度測位にニーズを感じていた訳ですね。
神藤:今でこそSLASやCLAS(センチメータ級測位補強サービス)に対応した受信機が各社から発売されていますが、そこに到達するまでは本当に長い10年間でした。数年前からCLAS対応受信機の価格が一気に安くなりましたが、この10年の中でもっともエポックメイキングな出来事だったと思います。メーカーもユーブロックスに加えてセプテントリオも参入し、市販の自動車にもみちびきの高精度測位に対応した受信機が搭載されています。ドローンなどへの搭載も進み、可能性がどんどん広がってきています。

明神氏・岸本企画官・神藤氏

── みちびきが広く普及してきた今の状況を、開発者としてどのように感じますか?
明神:初号機だけしかなかった頃を思うと本当に驚きです。初号機の打ち上げから十数年で衛星も4機になり、初号機後継機も打ち上げられて安定的な4機体制のサービスを提供できている。ここまでになるとは想像もできなかったので、本当にありがたく、うれしく感じます。今は7機体制に向けて開発を行っているのでさらに気を引き締めないといけませんし、次の11機体制の開発にも携わるとしたら、よりロバスト性(強靭性)に気を遣わないといけないと思います。

岸本:GPSの補完機能から始まり、次に高精度測位を実現する補強サービスを提供し、今では自動運転などにも採り入れられるようになって、ようやくここまで来たと感慨深いです。一方で今は内閣府の立場としてみちびきの開発に関わっていて、本当に身が引き締まる思いで、それだけ多くの人に使っていただけているサービスを、いかに途切れなく提供できるようにするかを追求しています。特に7機体制ではGPSがなくてもみちびきだけで持続測位が可能になるので、不測の事態にも対応できるよう、引き続き気を付けてやっていきたいと思います。

── 最後にみちびき初号機についてひと言、お願いします。
明神:設計寿命10年、目標寿命12年のところを13年も頑張って軌道上で働いてくれて、「みちびきさん、今まで本当にお疲れさまでした!」と言いたいです。今やみちびきは2~4号機も含めたシステムの名前としても使われていますが、初号機は本当に日本の測位の未来を導いてくれた良い衛星だったと思います。

岸本:2022年3月に初号機から初号機後継機に交代した時は、正直とても安心しました。本当にそこまでよく保ってくれたと思います。初号機が運用を停止するまでの13年の間にみちびきは4機体制となり、7機体制の計画が決定し、さらに2023年6月の宇宙基本計画の閣議決定で11機体制に進むことが決まり、本当によくやってくれました。

神藤:みちびき初号機の寿命10年は、最初は「そんなに長い期間、大丈夫か?」と心配していましたが、きちんと役目を果たしてくれました。これは明神さんや岸本さんのように最初からずっと関わってこられた方々にしっかりと面倒を見ていただいたのが大きいと思います。本当にお疲れさまでした。

明神氏・岸本企画官・神藤氏

(取材/文:片岡義明・フリーランスライター)


曽我広志氏


(日本電気株式会社 宇宙システム事業部 プロジェクトディレクター=当時)
曽我氏

QZSS(準天頂衛星システム)は、衛星システムと地上システムがそれぞれの機能を果たして、連携することで測位システムとして機能します。QZS 1号機ではこの測位システムとして初物だったことが多々あり、開発には初物としての苦労があり、さまざまなエピソードがありました。その中で2つエピソードを紹介します。
1つ目のエピソードは、QZS 1(みちびき初号機)の測位システムに係る検証試験です。測位システムは、衛星システムと地上システムの双方が組み合わさってシステム機能性能を発揮します。特に地上における試験です。QZS 1開発時には、測位信号受信機もQZS信号シミュレータなどありませんでした。そこで、搭載NPのエンジニアリングモデルを用いて搭載信号生成系の模擬装置を構築し、受信機開発モデルや測位信号源泉生成システムと接続して、受信機適合性や測位システムとしての機能を確認することを行いました。試験は初めての試験ばかりで、実施の仕方や確認方法をJAXA殿とNECで議論をして作り上げていきました。また、打ち上げ後の地上システムの調整もその手法から議論をして、1つ1つ確かめながら性能出しを行いました。こうした皆さんの努力があり、測位ミッションの試験を開始した2010年12月から約半年という短期間でアラート解除することができました。
2つ目のエピソードは、JAXA殿からQSS(準天頂衛星システムサービス株式会社)への運用移管です。JAXA殿で運用されていた衛星の運用を民間企業に移管することは初めての出来事です。NECとしては宇宙研究所の衛星の運用をした経験はありますが、JAXA殿から衛星運用を引き継ぐことは初めてでした。しかも、すでにQZS 1を利用するユーザがおりましたので、測位サービスの中断期間を極力短くすることが求められました。このため、1年前からJAXA殿の協力を得て運用データベースや文書の移行、移行時の段取り、手順、リハーサルなどの準備作業を用意周到に行いました。結果として、2017年2月28日に無事に運用移管をし、その後のQSSとしての試験検証を経て3月28日にはサービス再開を果たしました。この間、大きなトラブルなく、1か月という短い時間で再開させました。これも各担当者の奮闘およびJAXA殿のご協力の賜物だと感じています。
その後、2021年3月まで4機体制の中核としてQZS 1は大きな役割を果たし、大事な衛星をJAXA殿より引き継いだQSS/NECの担当者としては、感慨深いものがあります。

岡本丈史氏


(三菱電機株式会社 鎌倉製作所 宇宙システム部 準天頂衛星プロジェクト部長=当時)
岡本氏

準天頂衛星初号機は、三菱電機の標準衛星バスをベースに、わが国初の測位ミッションに快適な動作環境を提供できるよう開発しました。
軌道上での温度環境は測位精度に直結するため、制御する温度範囲や温度変動幅に対し非常に厳しい要求がありました。また、測位サービスのアベイラビリティを確保するために、高い衛星バスの稼働率が要求されました。設計者はこれらの厳しい要求に正面から向き合い、熱制御方式やシステム設計上の工夫を行うことで対応しました。
初号機のシステム試験は三菱電機の鎌倉製作所において、多くの関係機関の皆さんが一体となって実施しました。複数の社外関係者が工場内で共同作業する前例はなかったのですが、セキュリティルール等いろいろな制約がある中、関係機関の皆さま及び製作所の関係部門の方々にご理解とご協力をいただき、厳しいスケジュールの中、無事計画した試験を完遂させることができました。
プロジェクト運営面では、多くのステークホルダー間のコミュニケーションが円滑にできるよう、組織の壁を無くし信頼関係を築くことに努めました。また、不具合など悪い情報は迅速に共有し、課題に対応しました。
打ち上げ直前には打ち上げ日程に影響を与える大きな課題が発生しましたが、初号機関係者がワンチームとなり課題解決に取り組みました。迅速な情報共有とJAXA殿の勇気ある決断、その後のチーム一丸となった対応は今でも印象に残っています。
初号機が無事任務を完遂でき、準天頂衛星システムの礎となったことは、強い志と目標を一にした多くの関係者が築いたチームワークの賜物だと思います。

寺田弘慈氏


(JAXA準天頂衛星システムプロジェクトマネージャ=当時)
寺田氏

準天頂衛星システム開発プロジェクトは、文科省、経産省、総務省、国土交通省の4省共同で行われた技術実証プロジェクト。第一段階は文科省が取りまとめになって、情報通信研究機構(NICT)、電子航法研究所(ENRI)、国土地理院(GSI)、産業技術総合研究所(AIST)が参加し、全体システムの開発・整備・運用を宇宙航空研究開発機構(JAXA)が行う。システムの製作は三菱電機、日本電気が分担して行い、衛星の打ち上げは三菱重工からH2Aによる輸送サービスの提供を受ける。さらに民間の財団法人衛星測位利用推進センターが作ったシステムを利用するという、まさにオールジャパンによる取り組み。システム整備は段階的に進められ、はじめに準天頂衛星初号機1機を打ち上げ、1機によって準天頂衛星システムの有効性を確認し、有効性が実証できれば追加の衛星を打ち上げ、実用システムの整備を行うとの政府の計画のもと進められた。これは逆に言うと「初号機」によって有効性が確認できなければ、その後のシステム開発は進められないということで、宇宙先進国の証でもある測位衛星保有国に我が国もなれるかどうかの非常にプレッシャーのかかるプロジェクトだった。準天頂衛星初号機を開発した当時、海外に目を向けると、米GPS、欧州Galileo、ロシアGLONASS、中国BeiDouはそれぞれ課題を抱えつつ世代交代の衛星開発やシステムの増強がなされており、特に準天頂軌道の測位衛星は、中国、インド、日本でどこが一番になるか競い合っているような状況だった。
2010年6月9日、みちびき初号機の打ち上げを8月2日にすると発表した。その直後、みちびき初号機に搭載している同型の米国製リアクションホイールに不具合が発見され、みちびき初号機搭載のリアクションホイールの修理が余儀なくされ、急遽、打ち上げ日延期の発表を行い、9月11日とした。打ち上げを競っていた中国はそれまで打ち上げ日を公表していなかったが、結果8月中に準天頂軌道衛星を打ち上げ、準天頂衛星(みちびき)の打ち上げ時期は、中国に先を越されてしまった。
準天頂衛星とはどんな衛星なのか、一般にはほとんど理解が得られなかった。そこで準天頂衛星がどのような衛星かの説明をして愛称の募集を行った。結果11,111通の応募があり、「みちびき」という愛称を採用した。
 
2010年、準天頂衛星初号機「みちびき初号機」の打ち上げ成功時に漢詩を趣味にしていた生前の父が詠んだ一首。
 
祝人工衛星「領導」成功   人工衛星「領導」の成功を祝す
飛揚火箭上天空       飛揚の火箭(かせん) 天空を上る
搭載衛星機巧豊       搭載の衛星 機巧(きこう) 豊かなり
測位無縫領航器       測位に無縫の領航器(りょうこうき)
防災駕駛効精工       防災 駕駛(がし) 精工に効あらん
 
※「領導」=みちびき、飛揚=飛び上がる、火箭=ロケット、機巧=巧なしかけ、無縫=シームレス、領航器=ナビゲーター、駕駛=車の運転、精工=精密な仕事
 
「みちびき号機」は、11機の準天頂衛星システム整備を先導し、2023年に天命を果たし、天寿を全うした。

以上

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