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みちびきのSLAS/CLAS活用システムで、ヨット競技会を全面支援

2020年11月09日

ヨットの競技会場は、岸から遠く離れた洋上に設定されます。最近ではGNSSを活用し各艇の位置情報を収集・再構成して、レースを俯瞰して見せる試みも行われるようになりつつあるものの、陸上のギャラリーが抜きつ抜かれつのレースをリアルタイムに楽しむには、望遠カメラやドローン撮影などを組み合わせた大掛かりな映像中継システムが必要となります。
こうした中、10月17~18日に博多湾(福岡県)で開催されたヨット競技会「九州スナイプ級・470級ヨット選手権大会」(主催・福岡県セーリング連盟、九州学生ヨット連盟)では、準天頂衛星システムサービス株式会社による委託のもと、みちびきのサブメータ級測位補強サービス(SLAS)を活用したトラッキングシステムと、センチメータ級測位補強サービス(CLAS)活用の小型ブイなどを使った大会運営支援/エンタテインメントシステムの実証実験が行われました。

開発エンジニアは、ウインドサーフィンのトップ選手

NSTL代表の横井氏

NSTL代表の横井氏

会場で使われたシステムを開発したのはΝ-Sports Tracking Lab合同会社(ニュースポーツトラッキングラボ、NSTL)代表の横井愼也氏です。富士通株式会社のシステムエンジニアだった横井氏は、ウインドサーフィンでアマチュアトップランクの実力者ですが、競技中に頭を強打し頚椎の怪我で練習ができない時期を経験しています。その期間中に行ったユニークなイメージトレーニングが、このトラッキングシステムの発端となりました。

ウインドサーフィンのマスト(支柱)に装着したIoTセンサで、加速度・角加速度・地磁気などのデータを記録、そのデータを解析することでボードの挙動や乗り手の姿勢を可視化し、改善点を明確にしようという手法です。この“デジタルイメージトレーニング”が奏功したのか、横井氏は怪我明けの復帰戦でいきなり優勝をさらい、周囲の注目を集めました。そして、競技団体などを巻き込んだ実証実験へと発展したのです。

横井氏はさらに、IoTセンサにGNSSと通信機能を付加することでトラッキング機能をもたせ、ウインドサーフィン以外の水上スポーツへの展開を構想します。競技の運営支援やエンタテインメントシステムへの発展への期待も込め、昨年(2019年)8月にNSTL(Ν-Sports Tracking Lab)を創業しました。

専用ビブスに端末を格納

良好な受信状態を保てるよう工夫された専用ビブス

コクピット内のスピンバック

数量の制約から、スナイプ級の選手のみにトラッキング端末の入ったビブスを配布。470級や運営船のキャプテンには、防水パックに入れて配布し、コクピット内のスピンバックへの格納を依頼した(写真)。これで異なる条件での受信状態の比較が可能となった

風上側の折り返し点を示すマークブイ

風上側の折り返し点を示すマークブイ(写真)にはSLAS対応端末を配置。ゴールラインを示すマークブイにはCLAS対応端末を配置し、高精度の位置情報を取得した

日本では来年、ウインドサーフィンワールドカップや東京オリンピックセーリング大会など大規模な水上スポーツ大会の開催が予定されています。横井氏は、そこでの利用を想定した準備を急ピッチで進めています。
今大会では470級とスナイプ級の2クラスの大会が行われました。風上と風下に約2kmを隔てて設置されたマークブイの間を2周するレースを、2日間で各クラス6回実施。競技に参加するヨットと支援船まで含め約80艇にトラッキング端末が、本部船にはCLAS受信機を搭載した端末が渡され、実証データ収集を実施しました。
「このシステムを利用すれば、運営側は競技者だけでなく、支援船艇の入出場管理も容易にでき、外国籍船など一時的な許可を得て参加している船艇の、特定エリア以外への侵入に対しての注意喚起もできます」(横井氏)

ギャラリー/パブリックビューイング向けの「HAWKCAST」(写真)では、レース海域の上空を飛び回るドローンから見る自由視点の3D映像でレースそのものを楽しめる。これとは別に、真上から2D画像で船艇の登録名やスタート/フィニッシュラインを確認する運営者向け表示システム「HAWKCAST RMS(Race Management System)」も用意された

競技運営でもっとも重要なのは「どの艇が先にスタート/フィニッシュラインを横切ったか」ですが、現在は目視による判定が行われています。将来的にはその部分の支援も考えており、SLAS(サブメータ級測位補強サービス)/CLAS(センチメータ級測位補強サービス)による高精度の位置情報が、判定をサポートするだけの精度に達しているかを確認することも、今回の実証の目的の一つでした。横井氏はこの点についても「ドローンで撮影した画像と見比べながら、今後の検証を行っていく」と説明します。

実績あるデバイスの“新型”を現場に投入

システムの核となる位置情報端末を提供したのは、SLAS受信機で実績のある株式会社フォルテ(本社・青森市)です。この実証に向けて防水性能、データ取得頻度、電池容量を高めた新型デバイスを開発し、120台を用意しました。端末にはマルチパス耐性を高めたアンテナを搭載し、みちびきSLASによる位置情報は5Hzで、3軸の加速度・角加速度・地磁気センサによる9軸モーションセンサは25Hzでデータを取得します。数多くの端末からの高頻度低容量データのリアルタイム通信に適したプロトコルMQTTを採用した点や、みちびきのL1Sで配信される災危通報の受信にも対応した点が特徴です。

フォルテの阿部氏

フォルテの阿部裕氏。右手に持つのは今回使用された新型デバイス

支援船やマークブイの一部には、センチメータ級測位補強サービス(CLAS)対応の受信機を搭載した直径40cmの小型ブイが用いられました。システムを提供したのは、株式会社ブルーオーシャン研究所(本社・埼玉県川越市)です。同社はCLASによる高精度高頻度の位置情報から得られた波高データをもとに、機械学習によりその場の風速を推定するシステムの開発を進めており、将来的には洋上における大気中の水蒸気量推定や電離圏の情報も取得できる安価なデバイスを構想しています。今回の実証では、NSTLが提供した通信モジュールと組み合わせ、さらにフォルテのSLAS端末も搭載し、同一のプラットフォーム上で測位精度や通信安定性の評価に向けたデータ取得を行いました。

ブルーオーシャン研究所の伊藤氏

学生時代にヨット競技を経験しているブルーオーシャン研究所の伊藤喜代志・代表取締役

「港にいる人もレース展開を知っていた」のに驚いた

参加した選手にも話を聞いてみました。コメントしてくれたのは、470級で優勝し全国大会への出場権を獲得した、日本経済大学3年の河崎聖さん(写真左、スキッパー)です。右は、クルーで同大学1年の宮崎朝光さん。2D/3D映像では「セールNo.4480」と表示されていました。

日本経済大学の河崎さん・宮崎さん

日本経済大学の河崎さん(左)と宮崎さん(右)

「トラッカー装着は選手として特に負担とは感じていません。自分たちの操船データを後でいただければレースの振り返りに役立ち、メリットのほうが大きいと思います。今回、レースを終えて港に戻ってきた時、見ていた方から“最後のレース、惜しかったね”と声をかけられました。順位だけでなく、レース展開まで見てくれていたのかと思い、びっくりしました」(河崎さん)

大会運営者から「これまでで一番!」と高評価

岡村氏

福岡県セーリング連盟の岡村理事長

大会を主催した福岡県セーリング連盟の岡村勝美理事長は、積極的なICT活用で知られる人物です。その岡村氏は今回の実証システムを「今まで見てきた中で一番良かった」と高く評価しています。

「東京オリンピック・パラリンピック開催の決まった2013年以降、セーリングの世界にもトラッキングシステムが急速に浸透してきましたが、過去に試したいくつかのシステムと違って、今回はヨットの位置が飛んだり消えたりすることがほとんどありませんでした。本部船に乗ってタブレット端末で見たリアルタイムのトラッキングデータは、タイムラグも小さく、戦術上重要になる方向転換も分かりやすく、ヨットの動きが鮮明に分かりました。このシステムを使えば、ヨットを知っている人も違和感なく、ヨットを知らなかった人も臨場感をもって楽しめる、パブリックビューイングが実現すると思います」(岡村氏)と期待を込めて語ってくれました。

そして、これがヨット競技に望ましい変化をもたらしてくれるかもしれない、と続けます。
「優勝や準優勝した艇だけでなく、港に戻ってきたヨットたちが、レースそのものをたたえる拍手で迎えられるようになるかもしれません。そんな、今までできなかったヨットの楽しみ方を可能にしてくれるシステムとして発展してほしいと思います」(岡村氏)

(取材・文/喜多充成・科学技術ライター)