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岩城農場 岩城善広氏:脱サラ就農後、みちびきを活用したスマート農業に挑戦

2022年08月01日

栃木県大田原市で農業を営む岩城善広さんは、もともとは携帯電話の技術企画やみちびきのプロモーション業務に関わる会社員でした。2015年春に意を決して就農、農業経営を学びつつ実践しながら、衛星測位に関わる新デバイスの試用やシステムの試作に取り組み、その成果を学会発表するなど意欲的なチャレンジを続けています。さまざまな試行錯誤を経て、近年はみちびきのCLASに対応した受信機を使い始めたという岩城さんに、自分で試して実感した衛星測位の使い勝手を聞きました。

岩城氏

岩城氏

40歳を目前に農業の世界に飛び込む

── どのようなきっかけで就農を?

岩城 もともとはNEC(日本電気株式会社)社員で、パソコンや携帯電話の事業に関わっていました。社命でみちびきの部署に移って少し経った頃、妻の実家がある栃木の大田原で、義父から農業を継ぐはずだった義弟が急逝しました。みちびきの仕事も魅力的でしたが、やるならば試行錯誤できる若いうちからと、40歳を目前に農業の世界に飛び込むことにしました。

── 思い切った転身だったんですね。

岩城 退職の挨拶で「いずれはユーザーとしてみちびきに関わりたい」と話したのを覚えています。みちびき2、3、4号機の打ち上げを間近に控えた2015年のことでした。

── まずはどのような分野で活用を試みたのでしょうか?

岩城 最初は田植え前に行う水田の整備に、GNSSのガイダンスシステムを使い始めました。農繁期の田植えなどは婿として経験していましたが、田植えのための水田整備である「代かき(しろかき)」は就農して初めて体験し、これは大変だと実感したからです。

── 代かきとは「湛水(たんすい)した田にトラクターで乗り入れ、何度も往復して土を細かく砕く作業」ですね。

岩城 はい、土の粒子を細かくすることで泥の層を作り、苗の定着や水持ちを良くするというとても重要な作業です。均等にできずやり残しがあると水が抜けやすくなったり雑草が出やすくなったりするので、水田の全面をくまなく耕さなければなりません。ただ、水を入れた状態でトラクターを動かすので、すぐ泥水になって水底が見えなくなります。風で水が吹き寄せられたり水面が波だったり、泡や草切れが浮かんでいたりもします。どこまでやったか、やっていないかが分からなくなるんです。

代かきの様子(左)と水平度が確保された鏡田(右)

苗の定着を良くする代かきには、最初に水を入れて耕作する荒代と、田植え直前に圃場の高低差を減らし水深を一様にする植代がある(左)。植代を終え水平度が確保された鏡田(右)(画像提供:岩城農場)

── やり残しを避けたいなら、無駄を承知で余計に何往復もしなければならない...。しんどい作業ですね。

岩城 熟練者ば泥水の下が“見える”らしいのですが、何しろ私には初めてのこと。経験のなさを衛星測位の技術で補おうと、まずはタブレットに「AgriBus-NAVI」をインストールし、トラクターの運転席に持ち込んでみました。北海道にある農業情報設計社が開発提供する、定番中の定番の運転支援アプリです。

── GNSS受信機は、タブレット本体とは別に用意を?

岩城 いえ、最初はタブレット内蔵のものでした。測位誤差があるのでオーバーラップ(往復時の重なり)を大きめにとる必要はありますが、ほとんど他に頼れる目印のない状態ですので、あるとないでは大違いでした。もちろん「測位精度が上がれば、もっと良くなるのは間違いない」という期待もありました。就農2年目からは、東京海洋大学の久保信明先生にサポートしていただき、新しいGNSS受信機のシステムを試せるようになりました。まずは1周波、続いて2周波のGNSS受信機でRTK測位を試みました。これも定番のRTKLIBをインストールした、Windowsタブレットをトラクターの運転席に持ち込んで。

運転席のWindowsタブレット

運転席にWindowsタブレットを導入し、RTK測位にチャレンジした(画像提供:岩城農場)

── 2017~18年、みちびきが4機体制になり本格サービスが始まっていく時期ですね。

岩城 そうです。テレビで打ち上げのニュースを見ながら「これ、お父さんがやってた仕事だよ」と子どもたちに説明したりして、感慨深かったですね。

成功の何十倍もの失敗を経験

── RTK測位では、基地局からの補正情報を移動局に伝送し、演算処理をする必要があります。必要となる設備も増えますが、どうやって手配したのでしょう?

岩城 DIYでチャレンジしました。基地局に相当する設備は、アンテナとGNSS受信機を自宅に設置してパソコンにつなぎ、受信した情報をパソコンからWebにアップします。移動局に相当するトラクター側ではモバイルWiFiルーターで接続しました。補正情報を取得し、トラクター設置のGNSS受信機からの情報と合わせて演算処理し、得られた正確な位置情報を、Bluetooth接続でタブレットに送り、AguriBus-NAVIに渡すという流れです。必要なソフトはほとんど無料で手に入るので、着手のハードルは高くなかったのですが....

── システムの構築が難しい?

岩城 苦労しました。自前の設備をどう作るかという情報は、雑誌やネットで入手できました。でもどうすればちゃんと動くかは自分でやってみるしかありません。Webへの接続が不安定になるとか、他にもさまざまなトラブルに悩まされました。最近は学会発表などの機会もいただいたりしますが、ああいう場でお話しするのは「上手くいった結果」だけ。実際にはその何十倍ものミスや失敗や不具合を経験しています。

システム構成図

低コストRTK環境を構築するシステム構成(図版提供:岩城農場)

── RTK測位での測位精度アップはどんな風に実感でき、現場でのどんな効用につながりましたか?

岩城 精度が高いかどうかは、実は圃場では比べようがありません。それよりタブレットに示されるガイドラインが安定しているかどうかが、作業効率に関わってきます。操舵制御まで自動化するのはハードルが高いので、私はガイドラインを見ながら手動運転していますが、アプリが示すガイドラインがピタッと安定していてくれると、こちらも安心してハンドルを握っていられる。いわゆるRTK測位がFIX(高精度な位置情報が得られている)の状態で安定していてくれるかどうかが、一番の問題でした。

── FIXまでの時間や持続時間、あるいはいったんFIXから落ちた時の復旧が早いかどうかが重要だと?

岩城 その点ではやはり、1周波(ublox-M8P)と2周波のRTK(ublox-F9P)を比べると2周波のほうが安定していました。2016年から使ってきた1周波RTKでは、FIXが安定するのが自宅の基地局から約3km程度まででした。うちではコメだけで作付面積が約14ha、大麦なども合わせると30ha超になり、3kmより遠い圃場も出てきます。2019~20年にかけ2周波の受信機を導入することで、遠い圃場もカバーされるようになりパワーを実感しました。

── 意欲的に新しいデバイスに取り組んできたからこその実感ですね。

岩城 そうした新しい道具を扱うノウハウは、実は「QZSS/GNSSロボットカーコンテスト」を通して得たものも多かったですね。

── 毎年秋に東京海洋大で開催される、みちびきを活用した自律走行モデルカーのコンテストに、岩城さんは運営のコアメンバーとして長く関わっていますね。

岩城 コンテストの審査では、実走行での得点だけでなくプロセスも評価対象になっています。参加者や車の工夫や苦労の跡は私個人にとっても貴重でしたし、ちゃんと走っているチームがあるということは、自分でもやればできるはずという道標にもなりました。収穫したコメや野菜をコンテストに賞品として出しているのは、御礼の気持ちもあるからです。

GPS/QZSSロボットカーコンテスト2019

GPS/QZSSロボットカーコンテスト2019で審判を務める岩城氏(左)。右手前は同年のコンテストで優勝したTeam Katyのコナダ氏

衝撃的だった、みちびきのCLAS対応受信機

── タブレット内蔵GPSでの測位、外付けの1周波受信機によるRTK、2周波RTKと試行を重ね、いよいよみちびきのCLASに対応した受信機を使い始めたのが....

岩城 2020年の冬からです。ちょうどCLASの補強対象衛星が11機から17機に拡大されて以降のことです。防衛大学の浪江宏宗先生にCLAS対応受信機をお借りし、マゼランシステムズジャパンやセプテントリオのCLAS対応受信機を試用させてもらうことができました。

── 実感としてはどのような?

岩城 もう衝撃的でした。「今までの苦労は何だったんだ。苦労した時間を返してほしい!」と。

── どの辺りが衝撃でしたか?

岩城 たとえば数日間続く作業のため準備し、準備段階では上手くいったとしても、実際にトラクターで出ると、圃場の真ん中で補正情報が途絶え、復旧しない....。RTK測位ではそんなことが多々ありました。RTKだからということではなく、自前の基地局だったから足りない部分があったのかもしれませんが、いつどんなトラブルが起こるか分からず、信頼しきれなかった。それがCLASだと、基地局を維持する心配を全くしなくていい。「ここからやればよかった」と心底思い、これは本当にいろんな人に使ってもらえる技術になったと感じました。「通信しなくていい。受信だけでいい」というのはフィールドでは大きな強みです。

CLAS受信機のトラクター設置

トラクターキャビン内からの作業風景

タブレット表示で見るCLAS作業

── 手を動かし苦労してきたからこその説得力を感じます。身近なご家族は、岩城さんのチャレンジをどのように見ていますか。

岩城 直接聞いたことはありませんが、また変なことやっているなと思っているかもしれません。ただ、うれしいことに進路を考える年頃になった子どもたちが最近、息子は宇宙関係、娘は農業関係に進みたいと言うようになってきました。もちろんまだ変わっていくとは思いますが、チャレンジしてきた背中を見て、何か感じてくれたのかなと思っています。

── さて、代かきと田植えが終われば、忙しさも少しは落ち着くのでしょうか?

岩城 いえ、秋までは大麦の収穫や大豆の播種などの作業が続きます。そこでもみちびきの活用にチャレンジしていきます。

── ぜひその話も、改めて聞かせてください。

(取材・文/喜多充成・科学技術ライター)

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以上

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