コンテンツです

航法の歴史-4:SA(Selective Availability 選択利便性:精度劣化措置)の廃止

2015年12月08日

SAで「C/Aコードの測位精度を100mまで保証」

GPS衛星イラスト

米国防総省の測位衛星システムのGPSは、軍用と民生用の測位信号を発信するように設計されていた。軍用コードをPコード(Precision Code)、民生用コードをC/Aコード(Clear and Acquisition Code)と言い、Pコードは暗号化されていて民間の測位機器は利用できない(干渉測位という、2基の測位機器を利用する測位には使える)。測位の精度は、Pコードで10m程度。これは真の位置を中心に半径5mの円を描くと、ほぼその中に測定値が収まるという意味である。真の値からのずれは5m程度と言ってもいい。

本来ならば、C/Aコードでも同程度の精度が出るのだが、GPS衛星システムが部分的に稼働し始めた1980年代初頭から、米国防総省はSA(Selective Availability、選択利便性:精度劣化措置)という運用ポリシーを、C/Aコードに課していた。

SAは「C/Aコードの測位精度を100mまで保証する」というもの。それ以上の精度で測位できたとしても、それは国防総省として保証したものではないということだ。ありていに言えば、C/Aコードの情報に意図的に誤差を付加して測位精度を劣化させるのだが、「意図的に誤差を混入している」ことは認めないし否定もしない。あくまで「保証する精度は100mまでですよ」とだけ宣言したのである。

100mまでしか測位精度が保証されないのなら、民生用の利用価値は大きく下がる。カーナビで自車の位置が50mずれて表示されたら使いものにならない。

1990年、パイオニアが世界初のGPSカーナビを発売

パイオニアが発売した世界初のGPS利用カーナビ(イラスト)

では、実際問題としてC/Aコードにはどの程度の誤差が混入しているのか。国防総省のこの態度に対して、世界中でGPSの測位精度を計測する試みが始まった。精密測量など、GPSとは別の方法で位置が精密に測定されている場所でGPSのC/Aコードを受信し、受信で得た位置情報と実際の位置とを比較することで、C/Aコードにどれぐらいの誤差が混入しているかを測定することができる。

GPS衛星の数が揃い、ある程度の時間連続した測位が可能になった1980年代末、C/Aコードの測位精度は30~40m前後で推移していた。つまり、国防総省は「100mまでしか保証しない」としつつも、30~40m程度の精度となるように誤差を加減していたらしい。

1990年、パイオニアが世界初のGPS利用カーナビを発売したが、開発に当たってはSAの補正が大きな課題となった。30mもずれると、自動車は隣りの道を走ったり、海沿いや川の側などでは水中を走っているかのように表示されてしまう。さまざまな修正手法が開発されたが、それでも「自分の自動車が水中を走っている」というような事態が完全に解消されることはなかった。一方で、米ジオスター(Geostar)社のように、GPSとは別の完全に民生用の衛星測位システムを構築しようとしたベンチャーも出現したが、インフラ投資が巨額になることからうまくビジネスを離陸させることはできなかった。

イラクのクウェート侵攻に伴う変化

イラクとクウェート(イラスト地図)

大きな変化が起きたのは、1990年の夏から翌91年1月にかけてだった。1990年8月2日、フセイン大統領率いるイラクが隣国のクウェートに侵攻。これに対して国連安全保障理事会は即日、無条件撤退を求める安保理決議を採択し、米軍を中心とする多国籍軍をサウジアラビアに展開した。

この時、一時的にC/Aコードの測位精度はSAが保障する100mまで低下した。ところが1991年が明けた1月15日、突如としてC/Aコードの測位精度は10mにまで向上した。その48時間後の1月17日、多国籍軍はイラク領内へ侵攻する「砂漠の嵐」作戦を開始した。

やがて、海外報道などから何が起きたかという情報が徐々に日本にも入ってきた。軍用のPコード受信機の生産が間に合わず、C/Aコードを受信する民生用GPS受信機が多国籍軍に大量に納入されたのである。また、出征した兵士を案じて、家族が兵士に民間用受信機を持たせるケースも多かった。

今なお、この時にどのような意思決定があって、米国防総省が何を行ったかは明らかにされていない。しかし推測は可能だ。イラクのクウェート侵攻に伴い、イラクが民生用受信機を利用することを危惧して、国防総省はC/Aコードの測位精度を落としたのである。が、砂漠の嵐の実施に当たって、多国籍軍が装備した民生用受信機を無視できず、誤差の混入を一時的に停止したのである。

この措置は1991年3月まで続き、事態収束とともにSAは復活した。しかし、すでに民間は、精度10mの衛星測位の利便性を十分なまでに体験していた。高精度の衛星測位が、大変便利なもので生産性を向上させるということが、一般の共通認識となったのである。

2000年、クリントン政権がSAをついに解除

民間でSAを無効化する技術開発が急速に進展した。特に、高精度で位置が分かっている場所でGPS測位を行って誤差を測定し、その値を地上の電波で端末に伝送するディファレンシャルGPS(Differential GPS)が実用化したことで、少なくともディファレンシャルGPSのサービスが受けられる地域では、SAは無意味となってしまった。日本でも1997年に測位機器メーカーが共同で、FMラジオ放送に多重化して補正データを送信するディファレンシャルGPSサービスを開始。高精度化したことで、カーナビは「便利な機器」として認知されるようになり一気に普及が進んだ。

2000年5月2日、米クリントン政権はついにSAを解除した。この時点では、まだGPSの測位精度を必要に応じて劣化させる権利は放棄していなかったが、2007年9月には次世代のGPS衛星「ナブスター・ブロック3」(GPS Block III)にはSA機能を搭載しないと発表した。

衛星測位システムがもたらす巨大な経済効果は、誰の目にも明らかとなった。すると世界各国は、「米国だけに、かくも便利で産業や経済に大きな影響を与える測位衛星システムを独占させておくわけにはいかない」と考えるようになる。結果、民間が使える測位衛星システムは徐々に増えていくこととなった。

(松浦 晋也・ノンフィクション作家/科学技術ジャーナリスト)

 
「航法の歴史」(連載中)